2005年01月06日(火)   <<BACK>>

【閑話】
2005年、年頭に思うこと

 精神と自然の輝きが共鳴する時がある。何かを得ようと目を凝しても本質が見えることが難しいのは、目は心の働きにほかならないからだ。心が澄んだとき、意思と力も抜けきってしまえば、山、谷、空気が自分の心と溶け合う。
 そして一切のものが輝いた時、偏屈な思い込み、人を定規で計ろうとする心や人と対立する「壁」といったものは何もないことに気がつく。無理に笑顔をふりまくこともない。ただ背筋を伸ばして心が「無限に平和」であるなら、そこには何の影も生まれない。
  如何なる不条理の岸壁に置かれることがあっても、怒りの炎を燃やしてはならない。
 誰しも、期限を与えられていない宿題がある。子供の頃の夏休みのように宿題を忘れて遊びに興じていて、休みが少なくなったとき、人は宿題があったことを思い出す。人生とはそのようなものである。人の間で勝った、負けたはゲームに興じている間のことだけだ。何も値打ちもない。
 できれば私は不条理の狭間に置かれている人の立場につきたい。ただ怒りに対して同調するつもりはない。意思の先にではなく、一切の意思が溶けた先にしか、やはり一切はないのだ。

→冬の寒さは嫌いではない。でも我慢しすぎるのは体に悪いのかも知れない。先日、背中の筋肉が硬直していると言われた。

 


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